反駁の練習:解答1
否定側の主張は、「社員に不満が生まれる」であり、その発生過程も重要性も説明されています。
一方、これに対して肯定側は、「心意気が悪く不満とは言えない」と反駁しました。
本来の議論は、「不満は生まれるのか?それは深刻か?」であるのに、議論は「心意気が良いのか悪いのか?」へとなり、平行線となってしまいました。
これには肯定/否定の双方に問題があります。

論題:当社は年棒制を導入すべし
■肯定側は否定側の主張に直接反論していない
まず、肯定側の問題は、「心意気が悪く不満とは言えない」という主張が、否定側の主張の発生過程に反駁するものでなければ、重要性に反駁するものでもないことです。
あえて言えば、重要性に反駁するものと言えますが、具体的に明言されているわけではないので、そう取ることはできないでしょう。
つまり、肯定側の主張は否定側の「不満が生まれる。それは深刻である。」という主張に直接反論していないのです。
■否定側は的外れな議論に乗ってしまった
一方、否定側の問題は、肯定側の反駁が的を得ていないにもかかわらず、その議論にのってしまい、心意気が良いか悪いかの議論を始めてしまったことです。
ここで問題なのは、心意気が良いか悪いかではなく、不満が発生するかしないか、その不満は重要か重要でないかなのです。
肯定側の反論が反論となっていない以上、否定側が圧倒的に有利であったにもかかわらず、相手の筋違いの議論にのってしまったため、以下、議論は混迷してしまったのです。

では、肯定/否定側はそれぞれ、どうしたら良かったのでしょう。
■肯定側は何を攻めるか名言すべし
肯定側は、あくまで「心意気が悪く不満とは言えない」という点で議論をしたいなら、それを重要性と結びつける必要があったでしょう。
つまり、「不満が発生したとしても、それは本人の心意気の悪さに由来するものであるから、深刻な問題とは言えない。」と主張すべきです。
しかし、この場合でも、否定側が、不満が本人にとって深刻であると主張しているのに、肯定側主張はだれにとって深刻でないかがわかりません。
ここを突かれると返しずらくなります。
■肯定側は発生過程を攻めるべし
では、「心意気が悪く不満とは言えない」という主張以外では、どんな反駁のしかたがあったでしょう?
一つは発生過程を反駁するために、「終身雇用制は、若いうちに歳を取ったときのために貯金するようなシステムではない」と主張することです。
否定側の、この前提条件を崩せば、「不満が発生する」も生じないことになります。
■肯定側は重要性を攻めるべし
あるいは、重要性で反駁することもできます。
実は、否定側の重要性に関する説明には重大な欠陥があるのです。
否定側は、「一日のほとんどを費やす会社での不満は、その人の人生にとって深刻な問題」と主張していますが、その不満度が低ければ、いくら一日のほとんどを費やすと言えども、深刻とは言えないからです。
つまり、不満は発生するが、小さな不満であれば、深刻とは言えないのです。
否定側の巧みな言い回しにつられて、「会社でのすべての不満は深刻である」と思ってはいけません。
■否定側は的外れな議論は突っぱねるべし
一方、否定側はどう対応すべきだったのでしょうか?
これは簡単です。
肯定側の的を得ていない議論にのらないことです。
たとえば、「肯定側の主張は否定側の主張に対して有効な反駁をしていません。
不満が発生するかしないかを議論しているのであり、心意気の善し悪しを議論しているのではありません。」と突っぱねてしまうことでしょう。
その上で、「仮に心意気が悪いにしても、不満が発生することには変わりありませんし、そのことが本人にとって深刻であることは変わりありません」と心意気に関する議論に反駁してしまえば、本筋をはずすことはなかったでしょう。
■ジャッジは?
上記のような議論の場合、ジャッジの判定はそのスタンスにより二つにわかれるでしょう。
あるジャッジは議論された内容に添って判定し、話が平行線に終わった/引き分けであると判断します。
別のジャッジは論点が正しく議論されていないとして、この議論自信を消えたとして無視するでしょう。

以上のように、議論が本来の道から外れてしまうことは良くあります。
そのとき、外されたほうは、その外れた議論にのらないことが大事です。