「法廷がショー化する」と「弁護士料はケチってはいけない」は別々の主張で、後者は信用できないが、前者は信用できると主張するのは、虫が良すぎるというものです。
しかし、データをいくら叩いても、論拠(主張の発生過程と深刻性)を崩さない限り、主張は成立します。
つまり、仮にデータがなくても、それだけ主張に対する信頼性が劣ると見なされるだけで、根拠がしっかりしていれば主張は成立するのです。
この議論では、肯定側は否定側のデータに対しては有効な議論を持ち出してきました。
しかし、これだけでは否定側の議論を崩すことはできません。
なぜなら、肯定側は、否定側の主張の発生過程や深刻性を叩いていないからです。
そこで、否定側は、思い切ってデータを捨ててしまい、それでも主張は成立すると反論するのが良いでしょう。
否定側の主張『素人相手だと、難しい議論より、表面的な印象が重要視されるので、表面的な印象を競うあまり誤審が増える』は、しかっりした根拠を伴っています。
示されたデータは根拠を補足する程度の意味合いしかありませんので、データがなくても否定側の主張するデメリットは成立します。
データを捨てることを認めた上で、肯定側が発生過程も深刻性も否定していない以上、否定側の主張は成立すると反論するのが良いです。
具体的には以下のような反論例が考えられます。
肯定側が主張したように、否定側の提出したデータは不適切でした。
否定側は先のデータを取り下げます。
しかし、データを取り下ても、否定側の主張は成立しています。
なぜなら、肯定側はデータの欠陥を主張したに過ぎず、否定側の主張そのものを否定したわけではないからです。
つまり、肯定側は、否定側の主張の発生課程、深刻性のいずれも否定してはいません。
データはなくなりましたが、否定側の主張は依然、成立しているのです。
このように、ディベートでは、相手のデータをいくら叩き潰しても、相手の主張の発生過程か重要性を叩かない限り、主張そのものを叩き潰すことはできません。
データを完膚なきまでにたたきのめされても、なんら憶する必要はないのです。
逆に言えば、発生過程や重要性に直結しないデータを叩くことは、それほど意味があるとは言えません。