本演習の題材は、香西秀信著の「反論の技術」から得ています。
問題:以下の議論において、最後に述べられている死刑反対側の反論に対する反論を考えましょう。
■死刑反対側主張
死刑賛成者は、犯罪者を処刑し、自らの手で自らの主張の正しさを証明してほしいものである。
自分にできないことを正義感ぶって、叫ぶなど偽善もいいところだ。
実際、死刑執行という最も汚れた仕事(私は汚れていると思う)を他人に任せ、自分の手を汚さずに刑務所の外で騒ぐ人間に、犯罪者を「処刑しろ」などと言う資格はない。
■死刑賛成側反論
死刑賛成者が、犯罪者を自らの手で処刑することが、どうして彼らの主張の正しさの証明になるのだろうか。
逆に、死刑制度の正しさを証明するためには、それを主張する人が自ら刑を執行する必要があるのだろうか。
この論理が正しいとすると、自衛隊を容認する人は、皆自衛隊に入らなくてはならなくなる。
「看護婦を増やして看護体制の充実をはかれ」などと主張する人は、まず自ら看護婦に志願せよということになってしまう。
■死刑反対側反論
人が自らの主張を身をもって実践するかどうかということは、その人の誠実さを判断する重要な要素となる。
例えば、口では、「受験戦争反対、個性重視教育を」などと言いながら、自分の子どもだけは一流高受験のための進学塾に通わせている教育評論家を信用できるか。
あるいは、市にもう一つゴミ焼却場を作れと市長に陳情しておきながら、それが自分の住む地域にできそうになると、市役所の前に座り込みして反対する住民グループの発言をまともに聞こうとする気になるか。
死刑賛成論者もこれと同じではないか。
死刑には賛成だが、その執行は自分以外の人間にやってもらいたい、自分はそんな嫌な仕事はまっぴらごめんというのは卑怯ではないか。
解答はこちらです。